北国街道 牟礼まで

落影集落へ入る道です。案内板には牟礼までの道の案内が、載っています。縮尺がわからないで、すぐそこにあるような勘違いをしてしまいます。落影の集落を抜けても、明治天皇野点のあとという

ところにはでてこない。そのうち、舗装道路がなくなって、砂利道に入ります。18号線ははるか遠くをゆくのか、全く見えず、本当にこの道は北国街道なのかと不安になってくる。

そこで、この大きな石碑に出会います。

この土地の開拓に、泉が重要な役割を果たしたのでしょう。

この開拓地をこすと、薄暗い森の中に入っていきます。道幅3m,軽トラ1台が通れるだけの道、でも新しい砂利を最近入れたのか、道はしっかりしている。これが古道なのであろう。

 

明治天皇が維新のあと、全国を行幸して回った折、ここで休息をとられ、野点をされたところと解説にある。泉のあとなのか、水たまりが広がっている。ここまで来て、今走っている道は北国街道に間違いないと確信する。それまでは、普通の林道で山の中に入っていくのではと不安にかられていたのだが。このあたりから、飯綱町に入ったのか、解説が信濃町とは変わっている。

こんな、漫画による解説、明治維新の頃、信濃の人たちが、明治天皇の行幸をどのように眺めていたのか、よくわかります。

道は、基本的には下り。ところどころ小峠を越すように上りはあるけれども、歩くには楽なところである。薄暗い古道を走ること約1km、明るい牟礼の町が足下に眺められるところに出る。ここからは急坂、落ちるように下っていく。国道18号線と交わり、渡るとこの石碑が立ている。加賀藩が立てたという、北国街道、江戸と金沢のちょうど中間点にあたる。

ここからはまた、牟礼の駅までアスファルトを下っていく。

 

帰りは登りばかり、自転車を押して行くよりほかない。行きの倍の時間をかけて野尻湖までたどり着く。ソフトクリームを食べて、このサイクリング終わりました。

 

大学村の夏休み、「北国街道をあるきませんか」と村民に呼びかけようと思っています。他に「薬師岳に登りませんか」[姫の泣石と石をぶら下げた鐘楼を見に行きませんか」と声をかけようと計画しています。かる~いハイキングの会、参加待っています。

 

 

2018.8.13 猛暑が続いています。ハイキングを呼びかけようと思っていましたが、この暑さで、熱中症にでもなったら大問題だと、今年の夏は、呼びかけるのはやめました。

秋には、また声をかけますので、ご参加、お待ちしています。(F-18 木村)